2011年5月25日水曜日

王道を極めるためのオルターナティブであれ ~学校選択制と平等の問題~

【主張】教育政策担当: 鈴木

*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。

(出典: GothamSchools)


『日本への警告』の連載の途中だが、『ブロンクスのチャータースクール、州法に反して入試』(Phillips, A. GothamSchools , May 19, 2011)というタイムリーな記事があったので紹介したい。


ニューヨーク市のサウスブロンクスにあるAcademic Leadership Charter Schoolというチャータースクールが、ニューヨーク州法に反して入試にて生徒のセレクションしていることが関係者の話で判明した。州法では、学校側が能力に関係なく平等に生徒を受け入れるように、全てのチャータースクールが抽選にて生徒の入学を決めるよう定めている。しかし、この学校では、当選した生徒と保護者を学校に呼び、学力テストをした上で入学の是非を決定していた。また、複数の元職員の証言によれば、在校生でも成績の悪い生徒は、他校に移るようなプレッシャーを校長がその生徒や保護者に常に与えていたという。

私は、チャータースクールの理念に反対ではない。加速するチャータースクール推進運動シリーズの続きでいつか書こうと思っていたことだが、本来のチャータースクールの目的というのは、規制緩和により、いかなる規制が公立学校改革の妨げになっているかを見極め、その結果をもって従来の公立学校に反映することにあった。しかし、今の流れでは、従来の公立学校を潰し、オルタナティブであるはずのチャータースクールをメインストリーム化しようとするもので、本来の理念を見失っている。オルターナティブの存在意義は、王道を究めることにあるはずだ。それを忘れてはいけない。

また、公教育における「公」と「私」の境界の不透明化でも書いたように、今回問題になった学校や、ニューオーリンズのようにチャータースクールによる新入生のセレクションが合法とされている地域では、能力によって拒否されることなく誰でも地元の学校に入れるという伝統的な公立学校の概念はもはや過去のものとなっている。よって、それらの地域ではチャータースクールに自然に学力の高い生徒が集まり、プライベートセクターから莫大な資金も集まる一方で、従来の公立学校には英語を第二言語とする生徒や障害をもつ生徒が多く集まり、従来の規制により資金集めもできないばかりか地方自治体からの予算も削減されるという状況が起こる。

Zeigler & Lederman (1992) は、同様の理由でバウチャー制度に反対している。最大のポイントは、バウチャー制度が「権利」か「選択肢」かという誤った決断を国民に迫ることだ。いかなる理由によっても拒否されることなく、誰でも地元の学校に入学し教育を受けられるというのが従来の公立学校の姿であり、それを選択肢と天秤にかけることこそがおかしい。彼女らは主張する。

“the challenge in education reform remains in the improvement of public education and not in its abandonment, and in strengthening the ties between schooling and democracy rather than in severing them.”[1]

「教育改革における試練は、公教育の放棄にではなく改善に、学校教育と民主主義の関係の分離にではなくその強化にある。」




[1] Ziegler, C. L., & Lederman, N. M. (1991). School Vouchers: Are Urban Students Surrendering Rights for Choice. Fordham Urb. LJ, 19, 813.


0 件のコメント:

コメントを投稿