2011年6月18日土曜日

教育費の国際比較は可能なのか?(2)

まず、第一の論点「一人当たり教育費の方がふさわしいのではないか」という点についてみてみよう。

日常的な感覚からすれば、一人当たり経費というのは、GDPに占める教育費よりも妥当な金額であるかのように思われる。面倒を避けるため正式な定義をここでは紹介しないが、GDPとは国・地域の経済規模を測る指標と考えてもらいたい。さて、経済規模と言われても何のことだかハッキリしないが、家計とのアナロジーで理解するのが、正確ではないが分かりやすい。(無論もっと正確な議論が知りたい方は、文部科学省が毎年発行している、「データで見る日本の教育」を参照されたい)

山田家は、サラリーマンの父親と専業主婦の母親、さらに小学生の息子と娘のいる一家だ。父親の稼ぎは悪くなく、年収にして800万円ほどあると仮定しよう。この山田家の経済規模とは父親の800万円のことだと思っていただきたい。実際には山田さんは月々の給料から住宅ローンを返済しているのかもしれないし、逆に親から残された家に住んでいるために住宅ローンの替りに定期預金や証券を買っているかもしれないが、ここではそうした事は考えず、800万円はすべて何らかの形で支出されていると考えよう。

山田家は800万円のうち、どのようにしてお金を使うべきだろうか?当然、衣食住にはお金がかかる。郊外に住んでいれば当然自動車を保有し維持するお金もかかる。山田さんはゴルフに会社の人や取引先の人たちと週末いかなければならないだろうし、山田婦人も友達とたまには高級レストランのランチを食べたいだろう。

しかし夫婦にとってはやはり子供ふたりの為の出費はバカにならない。クラスの男子みんなが通っているサッカー教室に通わせなければならないし、娘はバレー教室に通っている。さらに地元の公立中学校はあまり評判が良くないため、遠くの私立学校に通わせたいので塾に費やす金も本当に頭がいたい・・・。

うち、結局子育ての費用、学校給食から始まりサッカー教室や塾の費用すべて含めて、年間200万円ほど支出しているとしよう(実際にはこれより多い家庭のほうが多いだろうが・・・)。すると、山田家の「GDPに占める教育費」とは200割る800で、25%である。当然この単純な例えば話から解るように「教育熱心」(無論教育とはどのようなものであるかによってこの言葉の意味は異なるだろうが、ここでは言及しない)であればあるほど、この数値は高いに決まっている。習い事や塾の回数が増えれば、このパーセントは高いものになっていく。

さて、この喩え話からするに、GDPに占める教育費にはいくつかの要素が影響することが解る

1,子どもの数に依存する
2,大人のほうの事情にも依存する
3,経済全体の活動に依存する

山田家にもう一人子供が生まれれば、当然のことながら教育費は上昇する。ところが、逆に一人当たりの教育費は少なくなる可能性が高い。すでに上の子供たちの使ったものをそのまま使えるわけだし、家計全体の余裕が無くなって、支出を切り詰めなければならないからだ。

つまり、一人当たり教育費と、GDPに占める教育費の比率は、違うものを比較しているのである。

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