2011年1月31日月曜日

オバマ一般教書演説における教育論の矛盾

(教育政策担当: 鈴木)


University of OregonYong Zhaoが、自身のブログに昨日投稿した記事で、先日行われたオバマ大統領の一般教書演説における教育論の矛盾を鋭く突き、アメリカの教育関係者の間で早くも話題を呼んでいる。目標に掲げていることと実際にやっていることの不一致が特に際立つオバマ大統領の教育政策だが、一般教書演説を使ってそこら辺の矛盾を一つひとつ説明している。巧みに人を惹きつけ、実に雄弁に理想を語るオバマ大統領。確かに政治的演説としては一級品なのかもしれないが、実際にそれが政策として形にされるとなると問題は多い。

演説の中で、オバマは、「革新すること、教育すること、より良い国を立てることで他の国々に勝ること」、そしてそのためには我々自身が競って子どもを教育しなければならないと説く。具体的には、それはもっと数学と理科の教育に力を入れ、高校と大学の卒業率を上げ、Race to the Topをモデルとした改革に一層力を入れ、高い学習標準を設け、更なる標準化を進め、頑張っている教員や学校に報酬を与えることなどを意味している。

では何故このような議論になるのか。上に挙げられた数々の政策が必要とされる理由としてオバマが述べた「事実」の一つひとつに対して、Yong Zhaoが様々なデータに当たり分析している。

 オバマは、中国とインドが子どもをより早い時期からより長い時間、特に数学と理科に重点を置いて教育し始めたことを指摘しているが、それは果たして本当なのか。

 アメリカの数学と科学教育は本当に他の国々に劣っているのか。

 Race to the Topは本当に近年で最も重要な公教育改革なのか。

 アメリカは本当に、社会における大学の学位を持つ若者の割合で世界9位に落ちたのか。

このような分析の結果、オバマの教育政策は誤った又は偏った情報に基づいているか、ロジック的におかしいかのどちらかであることがわかってくる。「目的地は正しいが、誤った道を選んでいる。」というのがYong Zhaoが辿り着いた結論だ。

正直、オバマ大統領は弁も立つし、カリスマ性もあるし、使命感はあるし、人柄も良さそうなのだが…、というのが私の印象だ。もし連邦政府教育長官任命の最終決定で、Arne Duncan(アーン・ダンカン)ではなくてLinda Darling-Hammond(リンダ・ダーリンハモンド)を選んでいれば…と悔やまれるばかりだ。




*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。

2011年1月30日日曜日

OECD国際学習到達度調査、アメリカ、そして世界

(教育政策担当:鈴木)

拡大するPISAの世界的影響力

2か月程前、2010年12月7日は、各国の教育関係者にとって特別な日だった。OECD (経済協力開発機構) が2009年の国際学習到達度調査 PISA  (Programme for International Student Assessment) の結果をリリースしたのだ。その日、世界中のメディアはこぞって、自国の結果を報道した。あからさまに喜びを表現する国、自国の教育システムに不満を呈する国、中には大規模な教育改革の必要性を訴える国もあり、報道を通して各国の様々な感情が伝わってきた。幾つか紹介してみよう。

S’pore Students Excel「シンガポールの生徒秀でる」 (The Straits Times, Singapore)
“International study shows Hong Kong students' reading, mathematical and scientific literacy continue to rank among the world's best” 「香港の生徒、継続して全教科世界トップランク 国際調査」(Hong Kong HKSAR, Hong Kong)
“NZ teens go to top of the class” 「ニュージーランドの生徒、トップランク」(NZ Herald, New Zealand)
“Not bad, but there’s room for improvement” 「学力改善の余地あり(オーストラリア)」(The Sydney Morning Herald, Australia)
“UK schools fall in global ranking” 「英国の学校、世界ランキングダウン」(BBC News, UK)

OECD 加盟国の全てが PISA に振り回されているわけではないが、発表直後の各国メディアの過敏な反応そのものが、PISA 世界的な影響力の拡大を示唆している。2000年より3年に一度の頻度で行われているが、参加国・地域も毎回増加している。ちなみに、2009年の調査には65の国や地域 (34カ国、31地域) が参加した。


アメリカの反応

 アメリカの結果は、読解力 (OECDに加盟している先進国34カ国中14位) ではほぼ国際水準で前回と横ばいだったものの、数学 (25位) と科学 (17位) でスコアを伸ばし、科学では先進国の水準に到達した。ちなみに、国ではないが地域として PISA 2009 から初参加した上海が、3教科全てにおいて1位の座についた。

多くの教育学者が、予想されたこの結果を平然と受け止める中、連邦政府教育長官 Arne Duncan アーン・ダンカン) は全く異なる反応を示した。皮肉にも、自分が指揮しているはずのアメリカ教育システムの平凡さと上海やシンガポールの活躍を比べながら、「正直に言って、PISA の結果は、多くの先進国が我々に教育で勝っていることを示している。アメリカ人はこの教育的現実に目を覚まさなければならない。」との懸念を示し、現行の教育改革をより一層強化するように国民に呼びかけた。それに続き、オバマ大統領も、今回のアメリカの結果を1957年のソビエト連邦による人類初の無人人工衛星スプートニク打ち上げ成功がアメリカに与えたショックと重ね合わせ、スプートニク危機の瞬間の再到来と表現した。(ビデオ参照)

この首脳陣による反応には呆れてしまう。National Education Policy Center のディレクターである Kevin Welner(ケビン・ウェルナー)などは、“Duncan from the PISA Hole: 'Keep Digging.'”PISAの穴から呼びかけるダンカン 「もっと掘れ!」) と名付けた記事で、PISA 2009の結果は、反対にNCLB主導の教育改革は失敗だったというメッセージをリーダー達に突きつけているのであって、ダンカンのコメントは、どつぼにはまったと気付いた人間に、同じ場所を更に掘り続けるように命令しているようなものだ、と痛快な指摘をしている。


PISA2009をどう読むか

このテストの結果など、いかようにも解釈できるのだ。Teachers College オフィシャルホームページでは、教育学者たちによる様々なPISAの分析を紹介しているが、例えば、 Consortium for Policy Research in Education Thomas Corcoran (トーマス・コーコラン) は、伸び幅は狭いかもしれないが、アメリカの生徒の学力が向上している事実をリーダー達が認めるべきだと主張する。また、National Center for Restructuring Education, Schools and Teaching Thomas Hatch (トーマス・ハッチ) は、PISA が評価しているのは教育のある一つの側面でしかないことを指摘し、PISA の結果を周囲のコンテキストから孤立させたまま判断することの危険性を説く。更に、多くの学者たちが、PISA は確かに生徒のテストを受ける能力を養うという点におけるアジア諸国の優位性を証明しているかもしれないが、それが真に21世紀の世界市場で革新、成功するために必要とされる知識や高度なレベルでの柔軟な思考を指すものなのかは疑問だと指摘する。University of Oregon Yong Zhao は、『中国の生徒がPISA国際学力調査で一番になった本当の理由』という記事で次のように語っている。「テストのために一日中生徒を準備し、どれだけ上手にテスト受けるかという基準で生徒を選べば、良い点数が得られて当たり前だ。」 更に、上海では小学校低学年から既に始まる過剰な教育による子どものストレスが社会問題となっているという。

 そもそも、アメリカの多様性、そして激しい地域格差を考慮せずに PISA の結果を判断するのには無理がある。例えば、PISA 2009 の結果を地域別に分析してみると、そこには全く異なる絵が浮かび上がってくる。生活保護を受ける家庭 (*学校給食を割引、又は無料で受けられるかどうかが貧困を測る一つの目安となっている。) の学生が全生徒数の10%未満という裕福な地域だけに焦点を当ててみると、実はアメリカはOECD先進国の中でトップにランクされる。その割合が10%~25%の地域をとってみても、アメリカは韓国、フィンランドに続く3位に入るのだ。逆に、75%以上の割合で生徒が貧困層に入る地域だけにフォーカスすると、アメリカは一気に34国中32位まで落ちてしまう Xie, H., Fleischman, H. L., Hopstock, P. J., Pelczar, M. P., & Shelley, B. E., 2010. Highlights from PISA 2009: Performance of US 15-year-old students in reading, mathematics, and science literacy in an international context. NCES 2011-004. National Center for Education Statistics.)。もし、このデータに注目するのであれば、アメリカが危惧すべきはこのような教育格差であって、それを維持してきた現行の教育改革を見直す必要があるというのが正当な分析となるだろう。

より根源的な部分でも、様々な問いが残る。多くの国々が PISA の結果に一喜一憂する理由として、それがもはや教育の枠を超え、世界市場における国力に直接関係があるであろうという前提がある。しかし、「国力」 とは一体何なのか。それは3教科のテストで測れるものなのか。そもそも、なぜ経済協力開発機構がこのような教育評価を運営するのか。それはいかなる前提の上に成り立っているのだろうか。

OECD は、ホームページPISA を次のように説明している。"PISA assesses how far students near the end of compulsory education have acquired some of the knowledge and skills that are essential for full participation in society."PISAは義務教育を終えようとしている生徒たちが、完全な社会参加に不可欠な知識と技術をどの程度身に付けたかを評価する。」) この定義によれば、完全な社会参加に必要なのは、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3教科のみということになる。では、他の教科は社会参加とは関係ないなのか。その場合、「社会」 とはいかなる社会を指しているのだろうか。

現代アメリカ育を支配する価値観の中で、「生徒の学力とは国の世界市場における競争力を意味し、それを伸ばすことが教育の目的だ」 という価値観が1983年の 『危機に立つ国家』 以降のアメリカにおける教育を支配していると述べた。しかし、これはもはや世界的な価値観になりつつある。そして、この潮流に大きく貢献しているのがPISAであるように思えてならない。



今日、教育は世界的に非常に狭義なものとなりつつある。



*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。

2011年1月20日木曜日

アメリカの学校が直面する本当の試練とは

By Larry Abramson, NPR (Jan. 17, 2011)—教育社会学担当: 生駒
1クラスあたりの最適な生徒数とは一体何人なのだろうか―最近のアメリカでの調査によると、アンケートに答えた半数の学区が予算圧迫によって大人数のクラス編成を余儀なくされているという。多くの学校職員が生徒への影響を懸念している。
記事では、学校側が予算削減によって現状に絶望感を抱くのではないかと心配する一方、徹底した教員評価システムを創り出すことができれば、クラス規模の増大は必ずしも学区に悪い影響を及ぼすものではないとも示唆されている。
最適なクラスサイズを指摘することは難しい。1クラスあたりの生徒数を17人まで削減すれば小規模クラスの効果が表れるとの調査報告があるものの、アメリカのほとんどの学区にとって1クラス17人は夢の数字であるのが現状だ。
前ワシントンDC教育長のMichelle Rheeは、“質が高い”と評価された教師に大規模なクラスを任せると考えれば、クラス規模の増大は経費削減のための効率的な手段だと主張するが、教師や保護者側からすれば、大規模なクラスでは、教師の仕事量が増えるにもかかわらず生徒11人との関わりが減ってしまうという懸念がある。
記事では、他の方法を実践することで経費削減に“成功”している学校を紹介している。カリフォルニアのある学校では“Learning Lab”でのコンピュータによる学習を取り入れることで、教師の数を削減しているという。そして、どの方法を取るかの是非はさておき、美術に割く時間の削減や学費の値上がりに比べれば、クラス規模の増大は保護者にとっていたしかたない手段なのかもしれないと締めくくられている。
クラスサイズに関しては、コロンビア大学Teachers College (TC)の教育社会学教授、Aaron Pallasが過去に興味深い寄稿をしている。それによると、少人数制クラスの低学年の生徒に対する効果には説得力の高い研究結果があるものの、クラスサイズに徹底した質の高い検証は未だになされていない。つまり、検証による確固たる裏付けがない以上、クラスサイズ縮小化に関する議論は推測の域を出ないことになる。
さらに、彼はNew York Cityの学校を例に挙げて、予算削減はもとより、クラスサイズ縮小化に伴うスペースの増大に対応できない可能性も指摘。クラスサイズの縮小化が不可能だとするならば、それは学校が「あえて選択した」のか、それとも学校が「選択せざるを得なかったのか」も考慮する必要があるだろうと示唆している。

2011年1月19日水曜日

テストへの不安を簡単に解決する方法

By The Associated Press. Education Week, (Jan 13 2011) 教育評価担当:美馬

Science誌の1月14日号に掲載された論文によると、テストを受ける前に考えていることや感じていることを書いた生徒たちは、テストに対する不安から解消されて点数が上がるという。
テストに対する不安はどこの教室でも見かけるものだが、「ますますテストの虜になっている」アメリカでは特に深刻だとシカゴ大学准教授でこの論文の共同執筆者のSian L. Beilockは述べている。
シカゴ大学の研究では、テストに対する不安が大きい生徒たちにテストを受ける前の10分間で不安な気持ちを紙に書かせたところ、ほぼ1グレード(例えばBマイナスからBプラスへ)成績が上がるという結果が得られた。実験装置にいる大学生と教室にいる高校生を被験者として、まずはテストに対する不安の程度を測定したあと、一部の学生に今の気持ちを書くよう指示した。
研究者たちは、不安が脳の作業記憶や短期記憶の働きを弱め、テストのために覚えたことを思い出せなくしていると信じている。また、作業記憶がうまく働かないと、集中力にも影響する。Beilok曰く、この研究は抑鬱症の治療からアイディアを得たという。抑鬱症の患者がトラウマ的な経験や感情を長期にわたりくり返し書いて表現し、不安感を減少させている例があるそうだ。なお今後の研究では、不安を感じている脳がストレスのある状況でどう変化するのかを見ていく予定だ。
記事原文

2011年1月18日火曜日

現代アメリカ教育を支配する価値観 ~市場型教育改革を考える①~

教育政策担当: 鈴木

 
 「生産性、パフォーマンス、効率、データ、アカウンタビリティー、産業、マーケット、市場、大量生産、競争、需要と供給、イノベーション、ヒューマンキャピタル、デリバリーシステム、顧客、消費者、オペレーター、マネージャー、フランチャイズ、マーケティング、ブランディング、レバレッジ、リスク、マーケットシェア、利益…。 
 ビジネス用語?勿論。でもこれらの用語は市場型教育改革の用語でもある。」


 今日のアメリカ教育事情には危機感を感じずにはいられない。教育は上記のようなビジネス用語で溢れかえり、「落ちこぼれ防止法」 (No Child Left Behind) が求めるスタンダード&アカウンタビリティーシステムの構築によってそれを煽っているのはアメリカ政府に他ならない。国の教育システム全体が一つの巨大市場、そして唯一の通貨は学力テストの点数といった感じだ。

 しかし、これは今に始まったことではない。今日のアメリカに蔓延する市場型教育改革の礎を築いたのは、「落ちこぼれ防止法」 より約20年も前である1983年、レーガン大統領政権のアメリカ教育庁長官諮問機関であったNational Commission on Excellence in Educationが発表した一つのレポートだと言われている (Falk, 2000; Labaree, 1997; Noddings, 2003)。 『危機に立つ国家』 (A Nation at Risk) と名付けられたこのレポートは、アメリカの学生の学力低下と教育の質の低さをドラマチックに描写し、それがもたらすであろう世界市場における国家失墜の危機を訴えた。これにより、

生徒の学力 = 国の世界市場における競争力

という認識がアメリカの民衆に植え付けられ、「教育の目的は国の競争力向上のために生徒の学力を伸ばすこと」、という一つのディスコースができあがった。

 『危機に立つ国家』 がきっかけとなり、アメリカは教育改革の渦に包まれていった。これらの改革は、市場原理に基づき、規制緩和、民営化、インセンティブなどのビジネスコンセプトを次々と教育に取り入れていった。しかし、注意すべきは、これらの 「改革」 が全て同じディスコースの中で行われていること、今なおその狭い価値観から抜け出せていないことだ。

 1983年以降、実に様々な教育政策が考案、実施されてきた。チャータースクールやバウチャーなどの学校選択制、教員のメリットペイ (能力給制度) とキャリアラダー (知識や能力などに応じて教員の職務や権限を細分化、差別化することによって教員に新たなインセンティブを与える制度)、少人数学級制、スタンダードとアカウンタビリティーシステム、Teach for America (TFA) や Urban Teacher Residency などの教職資格特別プログラム、授業時数や授業日数の拡張、ビデオ撮影や Value-added Assessment などの新たな教員評価の試み…、数え出したらきりがない。確かに切り口はそれぞれ違うのだが、これら全ての政策は、国の競争力向上のために生徒の学力を伸ばすことを目的としており、たとえそれ以外の目的を持っている場合でも、最終的には成果を測るためにテストの点数に依存せざるを得ず、教育を非常に狭義なものにしてしまっている。

 必要なのは新たな政策ではない。新たな教育ディスコースであり、教育的価値観だ。David Labaree、Nel Noddings、Maxine Greene などの学者は、我々により難しい、哲学的な問いとしっかり向き合うように訴えている。

教育とは何か。


この問いにパブリックが挑む時、真の「改革」は始まるのだ。



*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。

2011年1月15日土曜日

学ぶべき教訓

教育経済学担当: Norick

英The Economist誌 の一月八日号の特集記事は、各国における公務員労組についてで、"The battle ahead"と題された巻頭記事の中で公務員労組の問題が取り上げられている。(JBPressによる和訳もあり)

2008年以降の世界的な景気後退の中で、多くの国で公共部門の経費削減が行われている。中でも多くの先進国で大きな公共部門である、教員組合の問題は多くの紙面が割かれている。記事は、公務員労組の組織率は世界的に上昇しており、これまで政治家たちは公務員労組の政治的圧力に関して給与の上昇ではなく、労働条件や寛大な年金プランによって応えてきたと指摘。しかし先進諸国では景気後退による税収減および、一時的な公共支出の拡大による財政赤字の拡大より、公的歳出削減のプレッシャーが働くと指摘。これら公務員労組との間に政府との摩擦が起きると予想している。ただ、単純な歳出減ではなく、効率的な公的部門の構築を呼びかけている。

なお、他の記事では、アメリカの教員評価システム及び、オバマ大統領と共和党議員による12月に行われた教育改革が言及されている。だが、The Economist誌では、これらの動きについての紹介にとどまり、明確な評価を避けている。

2011年1月5日水曜日

ゲイツ財団が支援する、新しい指導法とは?

By Gewertz, C. Education Week, (Jan 3 2011) 教育評価担当:美馬

ビル&メリンダ・ゲイツ財団はこのほど、自身が資金提供をしている、Common Core Standards(統一学習標準)に対応した指導法やアセスメント開発の近況報告書をリリースした。ゲイツ財団は統一学習標準の開発自体も支援しており、それに加えて昨年の頭に統一学習標準に合わせた指導法の開発に1900万ドル(約15.9億円)を拠出することを発表した。当初はケンタッキー州のみが統一学習標準の採用を表明していたが、現在では43の州が参加している。
Supporting Instruction: Investing in Teaching(指導法のサポート:教えることへの投資)”と題された報告書の中では、8州、14校区で試験的に実施された指導の結果を垣間見ることができる(課題と指導例:数学言語)。最初の完成版のレポートはこの秋にもリリースされ、最終的にはインターネット上で無料公開されるようになるという。
例えば数学では、イギリスのシェルセンターとカリフォルニア大学バークレー校により開発されている、形成的評価に基づく指導法に焦点をあてている。生徒たちはまず最初のアセスメント課題を自分の力で考え、そのあと少人数のグループに分かれて同テーマの課題に協力して取り組み、再度同テーマの課題についてクラス全体で議論をしたあと、最後に元の課題に戻って最初の自分の考えを改善するという仕組みだ。なおこの形成的評価法は専門家の作る評価基準を伴い、クラスごとの累積的評価とあわせて活用されることになる。
記事原文