(教育政策担当:鈴木)
拡大するPISAの世界的影響力
拡大するPISAの世界的影響力
2か月程前、2010年12月7日は、各国の教育関係者にとって特別な日だった。OECD (経済協力開発機構) が2009年の国際学習到達度調査 PISA (Programme for International Student Assessment) の結果をリリースしたのだ。その日、世界中のメディアはこぞって、自国の結果を報道した。あからさまに喜びを表現する国、自国の教育システムに不満を呈する国、中には大規模な教育改革の必要性を訴える国もあり、報道を通して各国の様々な感情が伝わってきた。幾つか紹介してみよう。
“S’pore Students Excel”「シンガポールの生徒秀でる」 (The Straits Times, Singapore)
“International study shows Hong Kong students' reading, mathematical and scientific literacy continue to rank among the world's best” 「香港の生徒、継続して全教科世界トップランク 国際調査」(Hong Kong HKSAR, Hong Kong)
“NZ teens go to top of the class” 「ニュージーランドの生徒、トップランク」(NZ Herald, New Zealand)
“Not bad, but there’s room for improvement” 「学力改善の余地あり(オーストラリア)」(The Sydney Morning Herald, Australia)
「日本の高校生、学力やや改善」(日経, 日本)
“UK schools fall in global ranking” 「英国の学校、世界ランキングダウン」(BBC News, UK)
OECD 加盟国の全てが PISA に振り回されているわけではないが、発表直後の各国メディアの過敏な反応そのものが、PISA の世界的な影響力の拡大を示唆している。2000年より3年に一度の頻度で行われているが、参加国・地域も毎回増加している。ちなみに、2009年の調査には65の国や地域 (34カ国、31地域) が参加した。
アメリカの反応
アメリカの結果は、読解力 (OECDに加盟している先進国34カ国中14位) ではほぼ国際水準で前回と横ばいだったものの、数学 (25位) と科学 (17位) でスコアを伸ばし、科学では先進国の水準に到達した。ちなみに、国ではないが地域として PISA 2009 から初参加した上海が、3教科全てにおいて1位の座についた。
多くの教育学者が、予想されたこの結果を平然と受け止める中、連邦政府教育長官 Arne Duncan (アーン・ダンカン) は全く異なる反応を示した。皮肉にも、自分が指揮しているはずのアメリカ教育システムの平凡さと上海やシンガポールの活躍を比べながら、「正直に言って、PISA の結果は、多くの先進国が我々に教育で勝っていることを示している。アメリカ人はこの教育的現実に目を覚まさなければならない。」との懸念を示し、現行の教育改革をより一層強化するように国民に呼びかけた。それに続き、オバマ大統領も、今回のアメリカの結果を1957年のソビエト連邦による人類初の無人人工衛星スプートニク打ち上げ成功がアメリカに与えたショックと重ね合わせ、スプートニク危機の瞬間の再到来と表現した。(ビデオ参照)
この首脳陣による反応には呆れてしまう。National Education Policy Center のディレクターである Kevin Welner(ケビン・ウェルナー)などは、“Duncan from the PISA Hole: 'Keep Digging.'”(PISAの穴から呼びかけるダンカン 「もっと掘れ!」) と名付けた記事で、PISA 2009の結果は、反対にNCLB主導の教育改革は失敗だったというメッセージをリーダー達に突きつけているのであって、ダンカンのコメントは、どつぼにはまったと気付いた人間に、同じ場所を更に掘り続けるように命令しているようなものだ、と痛快な指摘をしている。
PISA2009をどう読むか
このテストの結果など、いかようにも解釈できるのだ。Teachers College のオフィシャルホームページでは、教育学者たちによる様々なPISAの分析を紹介しているが、例えば、 Consortium for Policy Research in Education の Thomas Corcoran (トーマス・コーコラン) は、伸び幅は狭いかもしれないが、アメリカの生徒の学力が向上している事実をリーダー達が認めるべきだと主張する。また、National Center for Restructuring Education, Schools and Teaching の Thomas Hatch (トーマス・ハッチ) は、PISA が評価しているのは教育のある一つの側面でしかないことを指摘し、PISA の結果を周囲のコンテキストから孤立させたまま判断することの危険性を説く。更に、多くの学者たちが、PISA は確かに生徒のテストを受ける能力を養うという点におけるアジア諸国の優位性を証明しているかもしれないが、それが真に21世紀の世界市場で革新、成功するために必要とされる知識や高度なレベルでの柔軟な思考を指すものなのかは疑問だと指摘する。University of Oregon の Yong Zhao は、『中国の生徒がPISA国際学力調査で一番になった本当の理由』という記事で次のように語っている。「テストのために一日中生徒を準備し、どれだけ上手にテスト受けるかという基準で生徒を選べば、良い点数が得られて当たり前だ。」 更に、上海では小学校低学年から既に始まる過剰な教育による子どものストレスが社会問題となっているという。
そもそも、アメリカの多様性、そして激しい地域格差を考慮せずに PISA の結果を判断するのには無理がある。例えば、PISA 2009 の結果を地域別に分析してみると、そこには全く異なる絵が浮かび上がってくる。生活保護を受ける家庭 (*学校給食を割引、又は無料で受けられるかどうかが貧困を測る一つの目安となっている。) の学生が全生徒数の10%未満という裕福な地域だけに焦点を当ててみると、実はアメリカはOECD先進国の中でトップにランクされる。その割合が10%~25%の地域をとってみても、アメリカは韓国、フィンランドに続く3位に入るのだ。逆に、75%以上の割合で生徒が貧困層に入る地域だけにフォーカスすると、アメリカは一気に34国中32位まで落ちてしまう (Xie, H., Fleischman, H. L., Hopstock, P. J., Pelczar, M. P., & Shelley, B. E., 2010. Highlights from PISA 2009: Performance of US 15-year-old students in reading, mathematics, and science literacy in an international context. NCES 2011-004. National Center for Education Statistics.)。もし、このデータに注目するのであれば、アメリカが危惧すべきはこのような教育格差であって、それを維持してきた現行の教育改革を見直す必要があるというのが正当な分析となるだろう。
より根源的な部分でも、様々な問いが残る。多くの国々が PISA の結果に一喜一憂する理由として、それがもはや教育の枠を超え、世界市場における国力に直接関係があるであろうという前提がある。しかし、「国力」 とは一体何なのか。それは3教科のテストで測れるものなのか。そもそも、なぜ経済協力開発機構がこのような教育評価を運営するのか。それはいかなる前提の上に成り立っているのだろうか。
OECD は、ホームページで PISA を次のように説明している。"PISA assesses how far students near the end of compulsory education have acquired some of the knowledge and skills that are essential for full participation in society."(「PISAは義務教育を終えようとしている生徒たちが、完全な社会参加に不可欠な知識と技術をどの程度身に付けたかを評価する。」) この定義によれば、完全な社会参加に必要なのは、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3教科のみということになる。では、他の教科は社会参加とは関係ないなのか。その場合、「社会」 とはいかなる社会を指しているのだろうか。
『現代アメリカ教育を支配する価値観』の中で、「生徒の学力とは国の世界市場における競争力を意味し、それを伸ばすことが教育の目的だ」 という価値観が1983年の 『危機に立つ国家』 以降のアメリカにおける教育を支配していると述べた。しかし、これはもはや世界的な価値観になりつつある。そして、この潮流に大きく貢献しているのがPISAであるように思えてならない。
今日、教育は世界的に非常に狭義なものとなりつつある。
*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。
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