2011年1月18日火曜日

現代アメリカ教育を支配する価値観 ~市場型教育改革を考える①~

教育政策担当: 鈴木

 
 「生産性、パフォーマンス、効率、データ、アカウンタビリティー、産業、マーケット、市場、大量生産、競争、需要と供給、イノベーション、ヒューマンキャピタル、デリバリーシステム、顧客、消費者、オペレーター、マネージャー、フランチャイズ、マーケティング、ブランディング、レバレッジ、リスク、マーケットシェア、利益…。 
 ビジネス用語?勿論。でもこれらの用語は市場型教育改革の用語でもある。」


 今日のアメリカ教育事情には危機感を感じずにはいられない。教育は上記のようなビジネス用語で溢れかえり、「落ちこぼれ防止法」 (No Child Left Behind) が求めるスタンダード&アカウンタビリティーシステムの構築によってそれを煽っているのはアメリカ政府に他ならない。国の教育システム全体が一つの巨大市場、そして唯一の通貨は学力テストの点数といった感じだ。

 しかし、これは今に始まったことではない。今日のアメリカに蔓延する市場型教育改革の礎を築いたのは、「落ちこぼれ防止法」 より約20年も前である1983年、レーガン大統領政権のアメリカ教育庁長官諮問機関であったNational Commission on Excellence in Educationが発表した一つのレポートだと言われている (Falk, 2000; Labaree, 1997; Noddings, 2003)。 『危機に立つ国家』 (A Nation at Risk) と名付けられたこのレポートは、アメリカの学生の学力低下と教育の質の低さをドラマチックに描写し、それがもたらすであろう世界市場における国家失墜の危機を訴えた。これにより、

生徒の学力 = 国の世界市場における競争力

という認識がアメリカの民衆に植え付けられ、「教育の目的は国の競争力向上のために生徒の学力を伸ばすこと」、という一つのディスコースができあがった。

 『危機に立つ国家』 がきっかけとなり、アメリカは教育改革の渦に包まれていった。これらの改革は、市場原理に基づき、規制緩和、民営化、インセンティブなどのビジネスコンセプトを次々と教育に取り入れていった。しかし、注意すべきは、これらの 「改革」 が全て同じディスコースの中で行われていること、今なおその狭い価値観から抜け出せていないことだ。

 1983年以降、実に様々な教育政策が考案、実施されてきた。チャータースクールやバウチャーなどの学校選択制、教員のメリットペイ (能力給制度) とキャリアラダー (知識や能力などに応じて教員の職務や権限を細分化、差別化することによって教員に新たなインセンティブを与える制度)、少人数学級制、スタンダードとアカウンタビリティーシステム、Teach for America (TFA) や Urban Teacher Residency などの教職資格特別プログラム、授業時数や授業日数の拡張、ビデオ撮影や Value-added Assessment などの新たな教員評価の試み…、数え出したらきりがない。確かに切り口はそれぞれ違うのだが、これら全ての政策は、国の競争力向上のために生徒の学力を伸ばすことを目的としており、たとえそれ以外の目的を持っている場合でも、最終的には成果を測るためにテストの点数に依存せざるを得ず、教育を非常に狭義なものにしてしまっている。

 必要なのは新たな政策ではない。新たな教育ディスコースであり、教育的価値観だ。David Labaree、Nel Noddings、Maxine Greene などの学者は、我々により難しい、哲学的な問いとしっかり向き合うように訴えている。

教育とは何か。


この問いにパブリックが挑む時、真の「改革」は始まるのだ。



*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。

2 件のコメント:

  1. 同感です。
    堤未果さんの最新刊「社会の真実のみつけかた」(岩波ジュニア新書)にこれに関する詳細な内容と問題提起がされています。

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  2. お返事が遅くなって大変申し訳ありませんでした。ご紹介くださった「社会の真実のみつけかた」、とても面白そうな本ですね。是非チェックしてみようと思います。またタイムリーな書物がありましたらご紹介して下さいね。ありがとうございました。

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