2011年2月24日木曜日

シカゴ大学エコノミストの"Crazy Idea"が1000万ドルを獲得

by Oliver Staley in New York, bloomberg.com (Feb 23, 2011)

「これはクレイジーなアイディアだ」と、ニューヨーク大学の応用心理学教授、クランシー・ブレアは語る “It’s not based on any prior research. This isn’t the incremental process of science. It’s ‘I have a crazy idea and I convinced someone to give me $10 million.’” 「これは先行研究に全く基づいていない。科学の斬新的な過程に則っていない。単に 「クレイジーなアイディアがあって、そのために誰かに1000万ドル出させたのさ」というだけのことだ。」

シカゴ大学経済学部のジョン・リスト教授は40万ドルの資金をヘッジファンド創設者の億万長者、ケネス・グリフィンより、あるフィールド実験に費やすために獲得した。その実験とは、教員に金を費やすのか、家庭に資金を配るのか、どちらが教育の効果に高い影響を持つかをもっとも深く分析するためである。追試のため、総額1000万ドルの資金をグリフィンはリストに拠出することを確約した。この実験は経済学の分野で行われたフィールド実験のもののうち、紛れもなく最大の規模のものとなるだろう。

シカゴのグリフィン・幼年期センター(the Griffin Early Childhood Center )はシカゴ郊外の低所得者住宅地に位置する。リストは、地域の4歳から6歳の子供の親たちに、彼のフィールド実験に参加するよう呼びかけている。600人の参加者が選ばれ、第一のグループは学費免除でグリフィンのプレスクールに入学する。違うグループはプレスクールに通わないが、親は「子育て学校」のコースを受講した上で、学業成績と素行によって、最大年間7000ドルまでの賞金が授与される。残る半数以上の300人以上は、単に対照群(Control Group)として追跡調査を受けるだけで、なんの恩恵にも浴さない。そして、実験の参加者は、これから生涯にわたり追跡調査を受け、年間の成績、出席、卒業、さらには成年後の就業、給与水準、犯罪歴も調査される。リストは論文の中でこう語っている「(調査は)彼らが死ぬまで行われる」と。

リストの研究は、アメリカ政府は親の援助について十分ではないという結論を示すかもしれない。「我々はかごのなかに多くの卵を入れすぎだ」と語る。自身も五人の子どもの父である彼はこう主張する「我々の子育てする親への支援は、あまりにも時間的にも金銭的にも過小なものだった。」

リスト自身は教育に関するいかなる理論も知らないため、プレスクールの教育内容を検討するために外部アドバイザーを雇い入れた。そのうちの一人、ニューヨーク大学のクランシー・ブレアは、この実験の規模について驚嘆した。と、同時に金銭的インセンティブに基づいているのみであり、親子関係の他のいかなる側面にも考慮を払っていないことについて感嘆している。これが冒頭の主張へとつながった。

フィールド実験は、経済学では比較的浅い歴史しか持っていない。その先駆者の一人である、ヴァーノン・スミスは2002年のノーベル記念スウェーデン銀行賞を受賞した。しかし、この学問では益々重要な研究手法として認識されている。

リストはこう主張する。「インセンティブは経済学の柱となる考え方であり、私自身の考え方の全てだ。」「人々が行動する際の準拠となっているインセンティブ構造を理解すれば、特定の環境下における行動や、環境や組織の変化がいかに行動を変えるかについて分析する非常に良いスタートをきることができる」

アメリカ義務教育の研究機関であるMDRCのディレクター、フレッド・ドゥーリトルはこの実験の意義を評価する。「成長過程における親の関与が重要であるという証拠には事欠かない」と。

クランシー・ブレアはこの実験は、教育における教師の役割を過小評価するかもしれないとの危惧をいだいている。「教育者は児童を教育する最善の道について理解せねばならないが、この試みは短絡的だ。アメリカの教育にはいくつもの根本的な問題があるにもかかわらず、この実験はそういった問題に答えずに、単なる目眩ましをしている。」

リストは自分に投げかけられている批判を理解している。「実験をしているときの自分は、私自身も嫌いだ。」「懐疑が投げかけられるのは当然のことだ」。加えてリストは、この実験がどこでも追試可能な結論に至ることを期待しているが、それは主眼ではなく、我々の理解を促進することが目的であると語っている。記事原文

4 件のコメント:

  1. Norickさん、
     ナイス投稿!!僕自身のネットワークでは絶対に引っかからない記事だったのでありがたいです。

     いや~、怖いですねぇ。「この実験は、教育における教師の役割を過小評価するかもしれない」というクランシー・ブレアの意見に共感です。この実験には教師の居場所ないですしね。実験デザインの全てにおいて僕も「短絡的」だと思います。教育学的な基盤は一つも無いように思います。でも、このような巨大プロジェクトがメディアの注目を集めて、どんなに短絡的であれ、その結論が「教育的指針」として世に広まってしまう。非常に迷惑な話です。
     今、自分でSchool Choice(学校選択制)について再検討しているのですが、一番気になるのは、School choice理論の基盤をなすecnonomic theoriesでは、親や子どもを教育の「消費者」と捉え、彼らを"economic beings"という狭い定義で見がちな点です。僕には、このような短絡的な理論的枠組みが無責任な結論と結果を招き、実際に親や子どもにも消費者としてのアイデンティティーを植え付けているようなきがしてなりません。
    Parents and students are seen as consumers and narrowly assumed as economic beings. (consumer choice)

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  2. この記事ですが、個人的な意見としてはどちらの言ってることも間違っていないと思います。学校に資金を投入するか、家庭に金銭的なインセンティブを与えるかの選択は、短期的な政策効果を見極めるためには重要ですので・・・。

    ただ、このようなプログラムを国家全体でやることにはやはり意味が無いと思います。結局のところ、賞金を得ようと思えば、他の児童たちよりもよい成績なり素行なりをしなければならなくなるので、そもそも手段と目的が入れ代わってしまいますし、賞金を獲得できなかった家庭や児童は、教育に時間なり資源を費やすインセンティブを逆に失ってしまうでしょう。

    マイクロな視点で見れば、このようなある意味即効性だけを考えたプログラムも大いに有効である可能性がありますが、システム全体の問題は解決できないというのが妥当な評価ではないかと思います。ちなみに訳は付けてないですが、リスト自身は、幼年期のパフォーマンスをみるかぎり、費用対効果の点で効率的でないと結論をだしているようですね。

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  3. 素早いお返事ありがとうございます!

    う~ん。僕はやはり違和感がありますね。
    リスト自身が言っているように、他の教育学的基盤が無い中、インセンティブだけをconceptual frameworkとして行うような実験では、測定するoutput自体も「学業成績」という名目のテストスコアという教育学的な観点からすると極めて短絡的なものに頼らざるを得なくなってしまいます。もう一つの「素行」というのは一体何を意味するのか?きっと「問題を起こさない」とか「ボランティアを何回行ったか」という極めてくだらないものになってしまうでしょう。

    もう一つ、「家庭の教育環境が子どもの教育に影響を与える」という一つの仮説がこの実験にはあるように思います。これはずっと言われてきていることだし、PISA2009のアメリカの結果を詳しく分析すると、アメリカの一番の問題は貧富の間に起こる教育格差、つまり貧困であることが分かります。だとしたら、インセンティブだけ与えて貧困層を教育に駆り立て、その将来的な付加価値に期待するような間接的なやり方より、貧困とより直接向き合おうとする政治的手段があるのでは。それを試す実験の方がありがたい。「最大の問題は貧困」ということから目をそらすために教育が使われてしまっているような気がしてなりません。

    残念ながら、今日、アメリカのeducation politicsの第一線に上がってくるのは「インセンティブ」や「レバレッジ」などの概念に依存する市場型教育改革ばかりです。しっかりとした教育学的基盤に基づいている政策はほとんど皆無です。ビジネスから新しい風を入れるのは良いことだし、必要なことだと思います。ただ、それが主流になっている今、その波に乗る新たな「実験」をするのは、今の、教育とは程遠いdominant discourseを強化するだけかと…。

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  4. 仰ってることは全く同意でして、反論することはないんですが、一応自分のディシプリンで行われていることが、どのような根拠で行われているかを説明する義務があると思いまして、コメントした次第です。以下のコメントも、私の個人的信条を代表するものではなく、経済学者がどのように一般的に考えるかという観点から検討くだされば幸いです。

    もちろんこのようにアドホックな評価基準を設けるのは、おそらくそのような簡単な基準さえ満たせないような児童では困るので、最低限の評価基準を設けている、というふうに考えているところがあります。「未教育の社会的費用」という話はTCの先生も研究していますが、要するに分かりやすい指標に還元することにより、効果を数値化し、比較対象を容易にする、という利点があります。

    子供の家庭環境に関して、所得再分配の方が効果があるのではないかという指摘ですがそのとおりだと思います。ただし、米国においては税金を徴収し、所得再分配によって貧困を解決するという手法は政治的に容認されにくいという政治風土があることも、こういったアプローチが容認されやすい一つの理由かと思います。

    Market-Orientedな考え方で教育も運営されるべきだという「決まり文句」が影響力を増しているという点は賛同します。ただ、以前日本ではインセンティブを全く無視したために、余計酷い結果に結びついた教育改革もあり(公立高校の総合選抜制など)一つの視点としてこのような考え方もある、と思って頂ければと思います。もっとも、この実験が社会的に価値がどの程度あるかは、私もかなり懐疑的ですが。

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